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御忌(ぎょき)
まつり

御忌大法要とは、浄土宗の宗祖で、鎌倉仏教の開祖ともいわれる法然上人(1133~1212)の忌日法要を意味します。「御忌」という言葉は、もともと天皇や皇后のご命日に限って使用されていました。

法然上人のご命日に限って「御忌」と称するのは、太永4(1524)年に後柏原天皇が「今より後、孟春の月に遭わば、宜しく京畿の門葉を集会して一七日昼夜、法然上人の御忌を修せしむべきなり。」と詔勅を下賜されたことによります。

これを「太永の鳳詔」と称し、以後、浄土宗の大本山で、法然上人の忌日法要を御忌大法要と称し、盛大に営むことになりました。

東漸寺で御忌大法要を奉修するようになったのは、享保20(1735)年、当山23世鸞宿上人の時で、京都・東山の長楽寺に安置されていた「香衣円光東漸大師(法然上人)遺像」を増上寺に遷座したのち、名僧をたびたび輩出した檀林寺院である当山に寄附をされてからです。

その当時の寄附書状並びに御忌大法要奉修嘆願の連判状、香衣円光東漸大師の謂れ書等は、当山宝藏に大切に保存されております。

当時は、「香衣円光東漸大師遺像」を担いで、約1カ月かけて当山の末寺35カ寺を巡り、4月25日に当山に戻り、浄土宗僧侶や信者だけではなく、各宗の僧侶も随喜して御忌大法要を奉修していたと言われています。
現在は交通事情により、お練りは東漸寺界隈で行い、4月25日にのみに行われております。

江戸時代より、東葛一円の人々に「御忌のおまつり」として長く親しまれ、大法要の日を機に3日間(毎年4月25日より27日まで)、参道や町に多数の植木市や露店がにぎやかに立ち並ぶ御忌の日。
戦前は東葛一円では、学校が休みになっていたほど楽しみにしていたと言われています。